芸術格差を考える(第4回:家入レオより売れるために何をするべきか)

芸術格差について考える第4回目のブログ。
ぼくがやっているmacaroomの発売日にとある店舗で店員から無礼な態度をとられたとき、その横で大展開している家入レオさんの巨大ディスプレイで頭をかち割ってやろうかと思った経験からこういうタイトルになりましたが、もちろん家入さんには何の恨みもありません。

今回は、ぼくがこれから音楽をやっていって、どうやったら大金持ちになることができるか考えていきたい。
とその前に、macaroomという音楽ユニットの新しいアルバムについて宣伝しておかないと。
ボーカルのemaruから「がくもたまには宣伝して」といわれている。
macaroom – homephone TE
2,000円(税込)
タワレコ新宿・渋谷では限定特典つけています。
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お店での展開の様子はボーカルemaruのブログが詳しいのでどうぞ。
macaroomのオフィシャルサイトでも特設つくってます。

このブログを読んでくれた人が、全員お店にいってアルバムを購入してくれたら、どれほど良いだろう。
そしたら、macaroomを推さずに家入レオなんかを推しているお店をぎゃふんといわせることができるんだけど。(もちろん家入さんは何も悪くない)
音楽業界が、いかに著作権からはじまる大企業の独占によって腐敗が蔓延しているか、ということは、ぼくみたいにレーベルやプロダクションに所属せずに活動しているアーティストにとっては悩ましい問題だ。正直、プロダクションにもレーベルにもお店にも流通にもメディアにも、そしてぼくらのようなアーティストにも、責任の一端がある。
 知的財産権が新規参入を防ぐためにある(かも)ということは前回の記事の特許プールやサブマリン特許の話で考えることができたし、著作権が文化芸術を振興しているわけでもない(かも)ということはP2Pなんかの話で考えることができた。
そして、著作権は、作者の保護、という観点からも、あまり意味がないんじゃないか、ということも、第2回と第3回のブログで、著作権がない場合の世界(政府が出した本の売り上げやファッションデザイン、ソフトウェアの発展など)を見て考えた。
音楽業界のコネクションの多くは意図的に隠されているので、たとえば西野カナは父親が1億円の広告費用を出してデビューしたとか、そういった噂があるだけで本当のところはよくわからない。
macaroomでいうと、アルバムに聖飢魔IIの創始者、ダミアン浜田陛下がコメントを寄せているが、これは陛下が高校教師をしていた高校にemaruが入学したからだ。しかし、教え子だということを伏せてコメントを掲載すれば、「純粋に音楽性だけが評価されてコメントを寄せてもらった」という風に演出することもできる。
ほとんど詐欺のような形で、音楽業界がまわりまわってより強固で閉鎖的な独占状態を続けているのは事実だ。
たとえばこの連続ブログで大いに参照し引用させてもらっているボルドリン&レヴァインは、「自分の曲をラジオで放送してほしいなら、お金を払えばいい」といっている。念のためにいいわけしておくと、macaroomもNHKラジオで高橋源一郎さんの推薦によって放送していただいたが、我々のポケットから高橋さんのポケットへ汚い金が動いたわけではない。
売れるための隠れたお金を象徴する出来事が、1960年のペイオラ告発だ。
アメリカの人気DJアラン・フリード。ロックンロールという言葉を定着させて、ロックンロールやリズム&ブルースを広く紹介することに貢献した人物として(アーティスト以外では初めて)ロックの殿堂入りをしている。
彼は、ある楽曲を放送するかわりに2,500ドルを受け取っていたことで告発された。
合衆国法によって、ラジオはスポンサー枠内の時間以外で金銭を受け取って放送することはできない。ラジオは公務員がやっているわけじゃないしただの企業なので、どんなお金をつかって何を流そうと勝手だけど、それにしてもラジオ(メディア)の影響力を考えると、こうした不公正なビジネスモデルが悪習であることには完全に同意だ。ともかくも、これはアメリカでは違法、ということになった。そしてフリードは罰金を科されて釈放。
ペイオラというのは、pay(支払い)という言葉と、ola(Pianola, Victrolaなどの楽器やMotorolaの会社から)を合わせた言葉で、無理やり日本語っぽくいうなら「とっぱらい節」のような感じだろうか。いや違うだろう。
ペイオラの話をきくと、「ん? 普通のことじゃねえか」と思ってしまう。
そう、悪しき風習、だがしかし、これは今でも(違法にもかかわらず)普通に行われている。普通に行われているので、それがどれほど悪いことなのか、ぼくにもよくわからなくなってしまう。
2005年にはラジオ局に賄賂を贈って大規模かつ組織的に放送させたとして、ソニーBMGがニューヨーク州知事から告訴された。ソニーBMGは1000万ドルの支払いで和解。
http://www.dontbuycds.org/payola.htmlからの引用を紹介。

DJが「お次はアリスタ・レコーズから発売の、アヴリル・ラヴィーン『Don’t Tell Me』」などというのだ。こう宣言すると支払いの対象となった曲は広告になるので、建前としてはペイオーラを禁ずるいかなる法も犯していない。五月のある週だけで、ナッシュヴィルのWQZQ FMはこの曲を109回放送している。(中略)KBZTのプログラム・ディレクター、ギャレット・マイケルズはこう述べている。「一般的に、ラジオ局はいいと思った曲を放送しているわけではありません。支払いを受けているから放送しているのです。」単純明白なペイオーラだ。(中略)これもやはり、レコーディング業界とラジオ業界の堕落した腹立たしい慣行のひとつだ。アーティストを搾取してファンをだましている。

無垢で純粋な(つまり世間知らずな)駆け出しのアーティストは、「良い曲をつくればラジオで流してもらえる」と思っているのだ。それも確かに正しいけど、ラジオやテレビで流れている多くの、ほとんどの曲は、単にお金を払っているに過ぎない。
本当だろうか?

ペイオラが、悪しき風習だということはわかっていても、そういった感覚は売れているアーティストほど鈍感になっていくだろう。
賄賂のような感覚は彼らにほとんどないし、レーベルやプロダクションだって、プロモーションの手法として、ごくごくあたりまえにやっていることなのだから。企業が売れるためにお金をつかうのはあたりまえのことだし、アーティストだって、それで売れてくれるんだったら、細かいことはとやかくいわない。企業がいきすぎた商業主義でもって人命が失われるとか、そういう事態であったらさすがのアーティストも声をあげるかもしれない。しかし、ペイオラは新しいアーティストは育ちにくいかもしれないが、全く育たないわけじゃないし、人命が失われたりはしない。

ただ、ペイオラも、あれが公金横領なら話はわかる。でも、音楽は公共事業じゃないんだから。全部が公共事業にまつわる犯罪と同じように扱われるのはね。(大瀧詠一)

ほらね。
著作権が、企業にとって甘い独占を正当化し、競争を阻止するということは、多くの不可解なできごとからみてとれる。
実際、ぼくのような、福くん級の純粋無垢なアーティストからしてみれば、「どうしてだろう」と思うことがしばしばある。
そして史上最大の横領だといわれている、アメリカの著作権延長法。
著作権の保護期間は、1998年のこの法案によって、作者の死後50年から70年に引き伸ばされた。実に40パーセントの延長だ。
これがなぜ横領なのか。
ノーベル賞受賞者を含む多くの経済学者による法的書類によれば、著作権延長法でもたらされるアーティストの追加報酬は、たった0.33パーセントだ。
アーティストの収入を0.3パーセントだけ増やすことに貢献している
著作権延長法は可決されたあと、憲法に基づいて訴訟となった。(憲法上の根拠については第1回記事を参照)
その訴訟(エルドレット対アシュクロフト訴訟)によると、
1923年から1942年までに登録された著作権335万件のうち、13パーセントの42万5000件が更新された。議会調査局は、このうちさらに18パーセントの7万7000件が世に残る作品として印税を獲得し続けるらしい。これらの年間予測は3億1700万ドルに相当するといわれる。
つまり、
たった7万7000件を守るために、(パブリックドメインになるはずだった)335万件の作品がブロックされ、
アメリカ国民は年間3億1700万ドルを負担しなければならない
そうすると、アーティストのためでもなければユーザーのためでもない著作権延長法。
それではいったい誰のためなのか??
こういった議論から、アメリカの著作権が俗にミッキーマウス法とよばれている所以がわかってくるのだ。
だって、くまのプーさんの使用料だけで、JASRACが全国からかきあつめる「すべての楽曲」の使用料と同額なのだから。
これはアメリカの問題だけじゃない。
TPPの知財状況の中に、この著作権延長問題が含まれているからだ。
アメリカがこれを要求して、オバマさんがとてつもなく力をいれているのは、アメリカの最大の輸出産業がほかならぬ知財だからだ。(日銀によると米国の海外特許・著作権料使用料は年間15.6兆円)
ニューヨーク州弁護士の福井健策によると、知財は使用料の金額よりも、ビジネスをコントロールする、つまり独占することがより魅力なのだという。

印税をもらうということはライセンスを諸外国に供与しているということです。ライセンスを諸外国に与えるということは、契約を交わすということです。契約には付帯条件というものがあって、「そんなデザインのものは出しちゃだめだ」とか「そんな広告じゃだめだ」とか「出来上がった知財を吸い上げよう」とかいろんな付帯条件をつけられるわけです。こうやってビジネス全体をコントロールできる部分が非常に大きいわけです。(誰のための著作権か:国際電子出版EXPO)

TPPは早くからリークされていたが2015年10月には政府概要が公表され、大筋合意ということだった。
どうなるかわからないが、TPPを待たずして国内法を前倒しでかえていく、ということらしい。
だから、日本でも同じようなことになるかもしれない。
おそらく延長問題よりも最大の議論となっている(と思う)非親告罪化については、また機会があれば考えよう。
ちなみにいうと、日本の企業は著作権延長をしてもアメリカの企業のような恩恵には預かれないだろう。
なぜなら、日本が輸出している作品のほとんどは、漫画やアニメなどみてもわかるように、作者の死後50年どころか作者がばりばり現役だからだ。なので、著作権を延長しようと、そのままだろうと、まったく状況はかわらないだろう。ただ、青空文庫やその他のパブリックドメイン作品が20年間一切増えずに眠ったままになる、というだけだ。
さて、ぼくらのような無名のアーティストは、どうやって大企業の独占状況に突っ込んでいくべきだろうか。
うん、もちろん、無所属のアーティストが、まったくの賄賂なしに成功した例は、いくらでもある。
頑張ればなんだってできる。あきらめちゃだめだ。
ジョナサン・カウェットの自伝的ドキュメンタリー映画『ターネーション』の例を考えてみる。
BBCが2004年に彼についての記事を書いている。
カンヌやサンダンスで話題となったこの映画は、218ドルという超低予算映画。カウェットが監督し、編集し、主演している。
カウェットは幼少期に母親がショック療法を受けていた。母親から虐待を受け、病状が悪化していくのを目の当たりにした。11歳の頃から彼は自分の家族をフィルムにおさめるようになり、現実逃避として映画をつくりあげた。つまり、『ターネーション』は11歳のころからはじまるホームビデオをつなぎ合わせた自伝映画だ。
彼は普通のパソコンで、普通の編集ソフトを使って、映像をつなぎ合わせていった。218ドルという予算は、11歳の頃から撮り続けたビデオテープの金額を合計した金額だという。
そして、彼は、雰囲気や時代感を演出するために、音楽やビデオクリップを使用した。
それら音楽などの権利者にカウェットは40万ドル支払うこととなった
カウェットは、、映画に使った楽曲などの著作権料を支払わずにすめば、218ドルで済んだのだ。しかし、費用は数千倍にかさんだ。

これで、アメリカレコード協会と「知的財産」をめぐる議論の正体がわかった。それは本人の労力の成果に対する権利に関するものではない。創造やイノベーションや改良のインセンティブでもない。既存のビジネスのやり方を維持する「権利」に関するものだ。(ボルドリン&レヴァイン)

日本中に、売れなくても頑張って活動しているアーティストがたくさんいる。
売れるために頑張るアーティストもいるし、売れることをこれっぽっちも考えていないアーティストもいるし、自分が芸術活動をしていることにすら気がついていない天才もいる。
ぼく自身もそうだし、ぼくのまわりにもたくさんいる。
フェイスブックでもツイッターでも、知り合いや、知り合いの知り合いのアーティストが、「アルバム発売しました」とか「ライブします」とか、もしくはただ単に「スタジオ練習中です」なんかシェアして、アピールしている。
彼らの作品が良いか悪いかに限らず、ぼくは(自分自身満足に活動できていないにもかかわらず)同情心でいっぱいだ。
だって、彼らは、いや彼らだけじゃなくて日本中のほとんどすべてのアーティストは、著作権の恩恵に預かっていないからだ。
JASRACは日本中の喫茶店や居酒屋やラジオ局や配信サイトから使用料を徴収している。
そしてうれしいことに、ぼくの曲も喫茶店やバーやラジオ局などで流してもらうことがある。
知り合いのアーティストたちも、どうにか頑張ってどこそこの地方ラジオで流してもらったとか、おしゃれなカフェで流してもらったとか、そういうことを経験していく。
しかし、徴収された使用料がぼくらの口座に入ることはない。
なぜならぼくらはJASRACに登録なんかしていないし、JASRACはぼくらのことを認識すらしていないからだ。
著作権の恩恵に預かっているのは、一部の売れている人たち、そして一部の企業だけだ。
著作権がアーティストの創作のインセンティブになるのなら、なぜ日本中のアーティストは、使用料をもらわずに創作活動を続けているのだろう。
いつか、売れた時に、今の何百倍の恩恵にあずかれるからだろうか?
以前書いたが、CD-Rに含まれる「私的録音補償金」というもの。
ぼくらはCD-Rを買うときに、その使用目的にかかわらず、補償金を払っている。CD-Rの定価には実際には補償金が上乗せされているからだ。
これはほとんど課税の一種で、実際にヨーロッパでは多くの国が実施している。

このよこしまなやり方に注目ーーコピーした楽曲の保存以外にも様々な機能があるCDのような多目的商品に課税して独占的レントを押し付けているのだ。(ボルドリン&レヴァイン)

ぼくは少し前に約100枚のCD-Rを購入した。これらはすべてぼくのつくった楽曲を焼いてサンプルとして店舗に配布するために買ったものだ。つまり、権利者はぼく自身。
これら100枚のCD-Rを買う際に余計に払わされた補償金は、私的録音補償金管理協会がホームページで宣言しているように、「全て、個々の権利者に分配」されるのだろうか?
つまり、この連続ブログのタイトルになっている「格差」という意味のひとつは、こういうことだ。
著作権による使用料、つまり印税は、一般には「たくさん売れていればたくさん入り、少ししか売れていなければ少ししか入らない」と思われている。しかしそれは完全な誤解だ。
著作権の使用料は、「売れていればたくさん入り、少ししか売れていなければ全く入らない」というのが正しい。
近いうちに、この補償金の行方について、私的録音補償金協会に問い合わせてみたい。

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